「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎地球と北極星・北斗星との関係◎

 

神から人へ、人から神へ。永きの年月、時の流れに、

人は己の使命を忘れ、今ある生の、眼前の、瑣末(さまつ)な

事象、現象に、惑(まど)い、愁(うれ)いの日を送りきぬ。

さにて本日、宇宙の星々、その中にある、宇宙の意図を、

意味を伝えむ。宇宙の始めに、神のあり。

神の意図にて宇宙は生まれ、時の流れの中にて進化し、

互いの間のつながりにより、さらに緻密(ちみつ)な動きを

始めぬ。なれば地球もその中にて、遅くに生まれし星なれば、

さらにも古き星により、宇宙の中の役割、使命、そもまた

他より、定められぬる。遠きかなたの星々は、遠くに見えれど、

さにあらず。地球の踏むべき進化の道を、時空を超えて導き

示す。なれば人は古代より、天文学を発達させて、地上の農耕、

狩猟、漁業を、星より学び、星にて占なう。宗教、祭祀、学問、

政治、全てに星は関わらざるなし。星の位置にも、運行にも、

宇宙の意思は顕われぬれば、人はそこより謙虚に学び、

宇宙の意思に適(かな)わむとせり。

 

 

 

北極星北斗星、それらも指針の一つなり。人が宇宙の星々の、

位置を見定め、過(あやま)たぬよう、北天の空に位置を占め、

標(しるべ)となりし星なれば。古代の人は、宇宙の星の、

大いなるを、聖なるを、厳(おごそ)かなるを畏みて、

神の尊き働きを、御魂の底より、感得せり。宇宙の奥に、

人の根源、御魂の由来は秘められぬれば、人の中にも宇宙

あり。宇宙は人の外ならず。人も宇宙の一部なり。

人は宇宙の意思を享(う)け、宇宙の命の一部を生きる、

宇宙の具現化せしものなれば。何千万もの歳月は、

人の御魂の中に生き、何億、何兆、無限の命を、個々の

御魂に記憶せり。進化の歴史は遺伝子に、記号となりて、

受け継がれぬる。

 

 

 

一つの命は一つにあらず。一つに見えるは、我による迷妄。

宇宙はひとつの命なり。なれど人は迷いの生きもの。己の

肉眼、頭脳を過信し、宇宙の神秘を否定せる。人に備えし

霊性にて、心眼をもて、宇宙に対せよ。宇宙の意思と

呼応せば、宇宙の叡智(えいち)は掌中(しょうちゅう)にあり。

人は宇宙の進化と共に、命の学びを御魂に刻めよ。御魂に

刻みし宇宙の進化は、さらなる進化を促(うなが)しゆかむ。

しばしの混迷、蹉跌(さてつ)はあれど、そをも乗り越え、

学びを深めよ。宇宙の進化の魁(さきがけ)なれと、神の願いを

託せし人よ。絶えることなき神の祈りに、宇宙の願いに、

耳傾けよ。全き命の完成まで、神の願いの成就まで、人も

地球も、欠かせぬなれば。さにて本日、宇宙の星と地球、

人との関係について示したり。精進の糧(かて)とし、精励

(せいれい)せよ。さにて。

 

 

 

 

 

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神から人へ ◎人間の傲慢(ごうまん)さについて◎

 

 

神から人へ、人から神へ。傲慢ばかりが幅利かせ、この世に

はびこる今の世よ。人の謙虚さ、慎ましさ、謙譲、控えめ、

譲り合い、さなる美徳は消え失せて、我を張り、押し退け、

我を通す。さなるさもしさ、卑しさに、嘆きも空しき、

侘しき心。今のこのとき急がるは、人の豊かで崇高なる、

かつての尊き霊性を、今再びに呼び起こし、穢れを清め、曇

りを祓い、かつてのまばゆさ、輝きを、御魂の底から磨くこと

なり。そのため、ことばは、ことにも大切。一つ一つの言霊が、

御魂の曇りを、磨き、清めん。傲慢なるも、愚かさ、浅さ、

幼さ、低さの表われなれば、先ずは御魂の成長を。

徳の涵養(かんよう)、心の練磨。忍耐、忍辱(にんにく)、そも

また徳なり。辛き体験、そに耐えてこそ、己の未熟さ、幼稚さ

悟り、さにて真の徳を得る。 

 

 

 

人の傲慢、驕慢(きょうまん)は、人と比べて高きを誇り、我こそ

神に選ばれぬると、自ら過つ錯覚なり。己に責を求めることなく、

己の非をば認めることなし。あるは己の正義のみ。人に押し付け

従わせ、真理を曲げるの不遜、慢心。人の話を聞かぬはおろか、

神のことばも勝手に解釈。神意を離れ、人知に貶(おとし)め、

陥(おちい)る独善、独尊、高慢。人の哀しさ、哀れさよ。気付か

ざるまま、年を経て、ますます強める、頑迷固陋(がんめいころう)。

驕(おご)れる人こそ、省みるべし。振り返るべし。恥じるべし。

人のことばに耳貸せざらば、せめても己を鏡に写せよ。そこに

写れる驕り、高ぶり。少しも気付かば、救いもあらん。

気付かぬことこそ憐れむべし。我執の砦(とりで)に、自らこもれる、

迷える御魂をいかに救わん。ことばの光に導かれよ。閉ざせる心の

壁をさえ、ことばの光は、貫き通さん。凝り固まりし迷妄も、

雨水(うすい)が石をうがつ如。ことばに啓(ひら)かれ、解き放たれん。

傲慢なるも、人の弱さよ。愚かな者の陥りやすき、罪なき過ち、

過失なり。早くに気付くに如(し)くはなし。傲慢なるは心の束縛。

心の重荷となるばかりなり。自ら捉(とら)われ、拘(こだわ)りて、

己の首を絞めて苦しむ。賢(かしこ)かるべし。聡(さと)かるべし。

人は己の人生を、身軽に生きて、長く旅せよ。さにて多くを学ぶ

べし。神の願いもそこにあり。人の命が輝きて、生きる実りの

豊かなれ。さにて本日、傲慢の愚かさを教えたり。自ら戒め、

問い直すべし。

 

 

 

 
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神から人へ ◎天変地異・火と水の浄化について◎

 

(天変地異・自然災害について)   


神から人へ、人から神へ。

大きな犠牲と傷跡残し、世界を狂わす自然災害。

その奥にある神のご意図は、全てが地球の浄化の

ためと、次なる世界の立て直しの、速やかにして

滞りなく、新たな御世へと移行するよう、

不要なるもの、無駄なもの、残るらば地球に危害を

もたらす、人の進化を妨げるもの、全てを破壊し

粉砕し、人の無力さ卑小さを、自ら悟り身を正し、

神の世界の偉大さに、素直に謙虚に分をわきまえて、

己の身丈に合うだけの、不足も過剰も無きほどの、

適量、適度を頂くがよし。

 

 



今の人類、全ての者が、己の勝手やわがままにて、

余りても尚奪い合う。人への警告 繰り返せども、

気付かぬままに踏み外す。

道を間違え、道に迷い、行き先すらも見失う。

行き先もなく風に任せ、空に漂う地球の如し。

今の人類、迷える御魂に、行き先与え、進路を示し、

線路を引きて導くは、政治・宗教・教育になし。

全てが互いに堕落せる、今の世界に希望は見えず。

なれど一部の心ある、誠の道を求める者が次なる

世界に誘う(いざなう)標(しるべ)。

過去の宗派に捉われず、瑣末な教派教団を越え、

互いの協力、絆を強め、手を携えて、前に進めよ。

今の地球に退路なし。あるは前に進むのみ。

遥か前方、道の彼方に、神の迎える世界を

見つけよ。なればそれまで長き道のり、苦労の

絶えぬ道なれど、今の縁ある一人一人、

己の使命を充分に、よくぞ果たして役目を終えよ。

神は地上の全人類に、地球の次元上昇のため、

一人の漏れもなきまでに、それぞれ役を分け与え

たり。一人一人はそに気付き、気付きし者は集い

集まり、己のみ役を働き始めり。

 
 

 


今の地上の災害事故も、全ては人が己の役を、気付き

目覚める機会とならん。他人の不幸も他人事ならず。

全てが己にゆかりある、明日は我が身のことと知れ。

血で血を洗う他国の戦い。飢えや寒さや病に倒れる、

海の彼方に苦しむ人々。

遠くに見ゆとも遠くになし。未来の己を映す鏡よ。

なれば人は共に考え、共に悲しみ、共に泣き、

己の世界を、広げ深めよ。 己の狭き考え、価値観、

浅き経験、知恵を越え、広く豊かな視野に立ち、

地上の明日に心を開けよ。

地上世界の明日を担う、尊き人類一人一人。

一人の目覚めが一人を救い、目覚めは広がり、

地球を救わん。

 

  


神の世界を立てるため、目覚めし者はさらに集まり、

力は強まり、早まりて、地上を巻き込み、一歩を

進めん。信じ、迷わず、疑いを捨て、己の役に

邁進すべし。疑心は時間の無駄のみになく、返りて

逆の力となるもの。

日々に祈りの思いを高め、縁の広がり、時の流れを、

心に感じ、確かめよ。神の導き、神のご加護を、

一瞬たりとも忘れるなかれ。共におわする神に感謝を。

 



(火の働き、水の働き、またその意味について)
   
火というは、神の光を集めて燃やし、

汚れ(けがれ)を祓う力のあるもの。なれば、

火の働きはこの世の汚れを燃やし、浄め(きよめ)

ゆくものならん。水というは、その浄められし後の

世を、流し浄めてゆくものなり。なれば、火は

汚れを祓い、水は汚れを流して禊ぎ(みそぎ)ぬ。

火と水は、対照、相反するものに思われぬれど、

真はさならず、正しからず。どちらも同じ、

素粒子にて、同じ構造、組み合わせ。なれど、その

素粒子の動きの速さと、その回転してゆく軸の

大きさ、広さによりて、熱の高さも、形も色も

異なりおるもの。

なれば、この世の汚れの強きときには、粒子は

速く回転し、この世の汚れを燃やさんとする。

なれど、汚れが燃やされて、祓われし後の、

灰燼は、水の流れに流さるるべく、粒子の動きも

穏やかなるらん。火にて汚れを燃やさぬれば、

汚れは地上を灰にて覆わん。灰は汚れの後の姿にて、

容易に流され、消えてゆきなん。なれば、粒子の

動きも遅く、穏やかに回り、小さく巡らん。

火と水はこの世の根本、大本、始めなり。

初めに神は地上を焼きて、汚れを祓い水にて流し、

さにてこの世は禊がれき。

 

 


その後、神はこの世に生命、自然、資源を作りて

ゆかれぬ。そして、人をも作られて、人には人の

働きを与え、動物植物、自然にも、それぞれ別の

働きを与えき。

なれど、人には特別なる、能力、ことばを与え

分けられ、さらに高度の文明作り、物質豊かに

発達させんと、文字も数字も教えしものなり。

さにて人は、文明を作りて、この世に文明を、

科学や医学を発達させり。

火と水、そもまた、文明の始めとなるらん。

礎(いしずえ)なるらん。火にて動力、燃料作り、

水にて、農業、食料増やしぬ。

さにて人は賢くも、文明文化を手に入れぬるを。

神は他の生命には、ただに水のみ許されぬれば、

他の動物植物は、水の恵をのみ得なん。なれど

火には汚れの素も、汚れも増やす働きあるらん。

物の燃えし、その後に、残る汚れは、自然を汚し、

ときに環境、体系壊さん。





火の文明は、力も強く、人の力を超えぬれば、

独り文明、物質のみが、さらに汚れを増やしぬる。

水の浄めも間に合わぬ程、汚れは広がり地上を

覆わん。今、この地上を浄めんためには、

清き水のみ必要なるらん。水の力をさらに高めて、

汚れし大地を洗い流さん。なれど水にも限界有り。

水は、物質、物体なれば、心の汚れは浄め得ぬを。

人の魂の奥に潜める、病める心は、水にもなせぬ

浄めが要らん。さにて汚れはことばにて、浄めて

ゆかねばならぬときなり。なればこそ、火の文明も、

水の浄めも、それのみにては不足不備。どちらも

大切補い合いて、ようやく地上は保たれなん。

なれどさらにも、求めらるるは、人の汚れの浄化、

禊ぎよ。

 

 

 

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神から人へ ◎ミロクの世・現世浄土の始まり◎

 

(新しい御世とはどのような御世なのか。新しい御世を

迎えるために人間はどのような準備をすべきなのか。)

 

神から人へ。人から神へ。

人類史上最大の危難危急の時代を迎え、

次なる御世を創世せんと、人は急ぎて協力し、集い集まり、

力を合わせ、新しき世にふさわしき、御魂(みたま)の無垢で

純粋なる、神の慈愛に素直に応え、苦難の時も、窮乏の日も、

感謝を捧げ、運命(さだめ)に任せ、神の示せし方へと従い、

神の導く教えを守り、神を知らざる縁なき者にも、

神の実在、宇宙の仕組みを、倦(う)むこともなく、説き明かし、

新しき世に幸わえる、誠の人の礎(いしずえ)となり、

めでたき御世を心に描き、あせぬ希望を胸に抱けよ。

まだ先のこと、なれど必ず訪れる、新しき世を疑うなかれ。

神の世界は次元も高く、今の地球の大方の者、多くはそこに

移るも難(かた)し。なれど心の清き者、正しき者は選ばれて、

神の恩愛、恵みによりて、御魂の次元を昇華(しょうげ)され、

新しき御世に入るを許さる。

 

 

なれば今になすべきは、少しの怠(おこた)り、余念なく、

精進昇華に努めるのみ。既に教えし数多(あまた)のことばに、

答は全て書き尽くされり。神を迎える心を築けよ。

神のことばを我が物として、神の心に思いを馳(は)せて

神の伝える神意を汲みて、己の生活、日常に、授けし教えを現わせよ。

神のことばは繰り返し、同じ教えを伝えるものなれ、

現わす人の心は様々。己の生に活かす道も、それぞれ考え工夫せよ。

 

 

御魂の鍛えは終わりなし。

この世の生の終わりまで、神の恵まる愛の証(あかし)よ。

なれば人は、恵みに応えて、次なる次元の世の前に、

少しも御魂を育み伸ばして、信ずる心を養うべし。

準備というも、その一事のみ。特別なるは一つもなし。

新しき御世の高き波動は、自ずと人を、分かち隔(へだ)てん。

残さる者と、残されぬ者、移る世界を異にする、

最後の振り分け、審判のとき。恐れは無用の、避けられぬとき。

人は自ずと分けられて、己の御魂にふさわしき、次元世界に旅立たん。

 

 

神は最後の瞬間までも、一人も多くの御魂を救い、目覚め気付きの

機会を与えて、神との縁を結びし者を、残さずともない導きたし。

神の迎える新しき世は、人の煩悩(ぼんのう)、執着を超え、

慈愛と情けの満ち溢れ、穏やかにして安らかなる、

精神世界の栄える世なり。物への執着を離れぬ者、人への憎悪の

消えぬ者、神の存在を認めぬ者は、かえりて苦しく、生き難し。

感謝と、謙虚と、素直と、愛と。心に誠の宝を持たば、神の世界は

歓び迎えん。神のことばに意味を見つけよ。己の生まれ生きる意味。

この世で働き、使命を果たし、次の世界に入るための、

備えの日々なる現世の生を、忘るなかれよ、片時も。神は人に

ことばを伝え、その一つとも人に残らば、神との縁は結ばれり。

神の許さる縁に救われ、多くの人の魂が、波動を上げて、

この世を変えなん。

地道な努力を、忍耐を、報(むく)いの少なき奉仕を積めよ。

そこそが神の最も喜ぶ、誠の人の生き方ならん。

道は既に示されり。進む戻るは おのおのに、ゆだねし選択、

決断なれば、一人一人が熟慮して、己の生を生きるべし。

本日、新しき御世のための準備について、

これまで教えしことも含めて、再度教え、説き示したり。

読みて考え、判断せよ。さにて。

 

 

 

2005年9月22日のお伝え

神の声を伝える人       
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神から人へ ◎宗教・宗教団体・信仰について◎

 

  

(宗教・宗教団体・信仰について)

まずは教えん。違いと区別。三つの間に違いはなかる。なれど

目的、やり方、方法、それぞれにあるが、違いなり。まずは

宗教。そのはじめの目的は、神が自ら存在を、示して広め、

伝えんために、わかり易き形に表し、ことばに直して示すもの。

なれば、時には教祖開祖を、真の神と過ち、敬う過ちも多く

あらん。なれども大本、根本には、神の信を深めさせんの、

神のご意図のなせしこと。

なれば始めの目的に、邪(よこしま)な思い、目的はなし。

次に宗教団体は、人が集いて、神に祈りを捧げ、強めて伝える

ための、神の願いと帰依と忠誠、そを示すが元の目的。なれど

多くは営利のため。自ら勢力、権力求め、金を集めることを

優先。 信仰、宗教、幾多の教え、幾多の祈りのことばにあり。

なれど、いずれも神を称え、崇めることが元の始まり。

なれば今の多くの宗教団体、教団の類は、過ちおかせるもの

ばかり。なぜなら多くは規則のみ、戒律のみ先行し、神の

教えを、願いを人に、伝え残すは少なければ。神の願いを

枉(ま)げて伝えて、人の誤解や曲解を、許す余地なき明快な、

教えはすでに廃れて残らず。その都度神は人を下ろして、

人に真実を、真理を広め残すため、幾度も過ち正してこられし。

なれど未だに変わらざるは、宗教、信仰。人の集まり、人の

上下が生まれてのちは、真の教えを行うことより、まずは

安定、拡大維持を、人の数にて宗教権力、比べて誇るも

神の意ならず。 

 

 

 

神には人は全て等しく、独りにても、集まりにても、神を

思いて交信せんと、祈りの高きことを重んじ、金銭物の奉納

好まず。ただ望むは、日々の霊行。一人一人が霊行を、

己の行のみ重んじて、うまずたゆまず努力せば、この世に

法律、警察要らぬ、真の清らな世界ならんを。

今の汚れも仮の姿の、一時限りの世界にあれば、神は焦らず、

待ちておらるる。なれど、信仰持つと信ずる者の多くは独善、

自己中心。意固地にこだわり、人に譲らず、自分世界の

中心で、唯我独尊、我尊し。素直に感謝し、神にゆだねる、

真の帰依は芽生えず、育たず。頑固に固陋な迷妄を、拓くは

難し、骨折りなるを。  

 

 

 

(信仰はどうあるべきかお教えください)

宗教、それは人の集まり。一人の神や、一人の人を、崇め

敬う集団のこと。なれば教えは一人の者や、一人の神に

任せられ、他の者、信者は、従うのみなり。一人の考え、

一人のことば、それにて全てが決められぬれば、誤り、

間違い、正されず。ただひたすらの帰依と献身。

少しの疑い、許されず、ただ信ずるのみの、妄信もあり。

妄信、狂信、罪も深まり、神への畏れも、敬いもなく、

ときに、神のご意図と逆の、暴虐、反逆、猛進しゆく。

神の真を伝える、さなる宗教、今は少なし。多くの宗教、

教団は、神の加護のみ求めるばかり。現世利益に曇りし心よ。  

 

 

 

なれど信仰、そは救いあり。神への信仰、あやまたざらば、

神への感謝を第一として、ただひたすらに真摯に生きる、

素直に謙虚な魂(たま)を磨かん。神への信仰あやまちし者、

狂いし信仰、そもあるらん。己の独善、正義心、そは我執

なり。迷妄なるを。他を省みず、己独りの、基準あるのみ。

唯我独尊。気をつけるべし。心すべし。信仰すべてが対象と

ならん。金さえ敬い、尊ぶ者あり。信仰、そもまた誤りの

もと。己に益するものならば、何にてもよし、構うことなし。

恐ろしきことなり。偽善の信仰。信仰、全てが危うからず。

なれど、多くの信仰なるも、己の利益を追うばかりなり。

己の親族、家族のためなら、他との調和も省みず、他をも

犠牲にする者ばかり。よく戒めて、見直すべし。己の信仰、

信の対象、己の行のなしたることを。  

 

 

 

神のご意図を知らぬ者たち。神の神意を悟らぬ者たち。神の

御心、嘲(あざ)ける者達。神さえ知らず、知らんともせで、

現世のみしか眼中になし。さなる信仰、宗教ばかりの、狂いし、

乱れしこの世なり。今取り戻すは、神の存在、神を見つける、

その機会なり。科学や医学の発達しすぎて、全てを物にて解決

せんと、見えざるものの力に対する、畏れ、尊敬、絶えぬれば。

次元の異なる世界の存在、架空のことと嘲笑い、己の世俗の

卑しさ誇る、濁りし眼をば、早く覚ませよ。神を教える者達の、

住み難き世なり。辛き世なり。かつて古代の、神世の頃の、

神と共にて、ありし頃の、人の素直さ、純真さ、全て失い、

汚れしか。 

 

 

 

かつての信仰、そは単純。ただに感謝して、謙虚に生きる。

自然を敬い、神を認めて、何にも感謝し、調和せし頃。かつて

古代に息づきし魂。昔のよき日を思い出せよ。神と離れず神に

問い、神に答えを求めし子達よ。神は全てを与え授けき。

人を高めて、進歩さすため、ことばを文字を信仰を。神の

与えし信仰は、神と人とが銘々に、神と結びてつながるもの

なり。神と人とを結ぶもの、そがことばなり。祈りなり。

祈りを持ちて、古代の人は、神に感謝を、帰依を伝えき。

神のことばを聞くも可なれば、人は謙虚に敬虔に、自ずと

己の不足もわきまえ、さらなる行をも厭わず励みぬ。

素直な魂、汚れぬ魂。人は己の魂浄め、高めるために、

生きしものなり。  

 

 

 

人の我欲の芽生え始めて、人の心が濁り始めて、神のみ声、

聞こえずなりて、神とのことば、取り上げられて、人は神から

遠ざかりぬる。この世に生まるが、堕落の始めよ。たちまち

毒され、犯されて、現世世俗にまみれゆくのみ。ことばの力も

弱くなりぬる。ことばも乱し、心も汚し、甘言のみに耳傾けて、

真の神を伝えることばは、嫌われ、拒まれ、蔑まれ。

神の嘆きも聞こえざれば、ついにはこの世を終わりし後の、

きつき禊ぎに耐え得るや。この世を離れて戻りし後に、

次なる生を与えらるるか。次の再生、許さるるかも、今の

最期にかかりておるなれ、よくよく諌めて、気づきてくれよ。

何も求めぬ、ただそれのみなり。神に戻りて、気づきぬること。

悟り、悔い、詫び、下座する心よ。今の信仰、欠けたれば、

早くに戻せよ、戻れよ元に。さにて、よくよく励みて、精進

されよ。  

 

 

 

 


 
神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
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神から人へ ◎嘘・偽善・人の弱さについて◎

 

 

(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか)

さにあらず。人には常に、隠したきこと、言いたくなきことあらざるや。

人の知らせることのみが、正しき選択、策になし。なれば人は、ときに黙し、

ときに真と異なりて、多少の歪曲、脚色あらん。なれど、常にそを続けなば、

ついには人は信用失いて、己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。

なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし、人は真実現実を、直視する者、

わずかなり。多くは己の都合よきよう、己の利になることのみ見聞く。

一つの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、人に語るはその一部のみ。

なれば嘘とは、全てが嘘なり。人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像。

一つの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。人の解釈、そも

入らん。あるいは誤解に基づくもあり。なれば、人の話を聞くとき、全てを

信ずはあやまち犯さん。人の噂や、井戸端会議、毒にもならぬ陰口悪口、

そに耳貸すな。惑(まど)わさるるな。そこに真理のいかばかりある。

多くの口を出づるとき、人の汚れをまとわん。人は多くを語るなかれ。

語るは言霊正しく表す、清きことばをのみ語るべし。人の許さる語りとは、

人をいたわる慰めと、心和(なご)ますことばのみ。他は心の汚れを映す、

虚飾に満ちし虚言、妄言。神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。

いかなるときも神を敬い、神への帰依を忘れるまじ。さなる心の正しき者なら、

ことばも清く、音も涼しからん。

 

 

嘘偽りを咎(とが)むにあらず。人の語るに真実なければ。神の戒(いまし)め、

諌(いさ)めらるるは、人の偽善のことばなり。 己の嘘に気づきもせずに、

己の正義を妄信す。さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。

人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。真摯に人のため思うなら、

徒に優しきことばにあらず、ときに厳しきことばも必要。なれど、そこにも

我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。神の手伝い望みなば、己の考え、

判断交えず、ただに神にゆだねるべし。神との縁を結ぶのみにて、余計な

いたわり、慰め入るるな。そにて充分、神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。

 

 

人の嘘とは、他愛なきもの。己をかばうためならば、他を傷つける意図なくば、

神も許して、見逃さん。なれど、嘘にて人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、

神は許さず、禊(みそ)ぎを課されん。嘘とはいずれは暴かるるもの。必ず露見し、

粛清されん。なれば、神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。

人の儚き虚偽虚構、神の前にはかげろうの如。鏡の像を見紛(みまが)うことなく、

真の姿を見極めるべし。己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆(もろ)きもの。

弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に感謝捧げん。

弱さを責める意味もなし。弱さを補う強さのあらば、何の不足も不便もなからん。

欠けたるものを嘆くより、今あるものを慈(いつく)しむべし。自ら非難し、

指弾(しだん)するより、過ち認め、償う努力を。人への誠の悔いと詫び。

己の弱さを見つめる強さ。そこそが次の一歩とならん。自足し努力を怠ること

こそ、人は恐れて戒むべけれ。さにて本日嘘をつく人の弱さについて教えたり。

向上進歩に務めるべし。さにて。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

神から人へ◎人類救済の仕組みを学び、悟れよ◎

 

命とは、神に与えられしものなり。

命に生を与えるものは、神のみ力、お仕組みによる。

生とは現界での状態であり、命とは無限に続く魂のことなり。

それゆえ、命は死と生を繰り返すなるが、命は無限に、

与えられし時から無限に続き、この世に生を持つこともあらば、

死としてあの世に帰ることもある。

一つ一つの命、魂は、せねばならぬみ役が定められており、

命の続く限り、それぞれの勤めとして果たしていかねばならぬ。

生は、人の肉体をもってこの世で行を積むが、

死はこの世での肉体の終わりであり、あの世では霊魂となる。

しかし、貫くものは一つなり。

しかし、その命、魂であっても、終わる時が来る。

それは、神のご意志、ご意図にそぐわず、

神のみ光をもってしても、浄まらず、曇りを消せぬまでに、

その命、魂が汚れしときなり。

そのとき、神は、自らのお仕組みにより、その命を消される。

よく生きて、よく死に、あの世で修行を終えずば、この世でも

あの世でも行は続く。この世で、どのような善行を積もうとも、

それが、神のご意志、ご意図にそぐわずは、し残した業となって

あの世に持ち越される。

 

 

 

神は人を、人類を、神のご意志、ご意図でお作りになられた。

しかし今、この世は、神の求められし地球のあるべき姿ではなく、

人もあるべき姿ではなくなった。

神は、人類、全ての生の存続を望まれる。

神の心を持ち、神のことばを持ちて、自らの存在の意味を知り、

自らのみ役を悟り、自らのみ役を果たさんとする魂を救い、

そして神の国で再生するを、全ての人類に切に望んでおられる。

それは、人を分けるためではなく、人全てが神からの魂、命を、

大切に使い、そしてこの世に神の国を復活させるためなり。

そしてこの世に起きる不幸現象は、全て、神が人に、

自らのみ役を認識させるため与えられる、神からのお伝えなのである。

不幸現象、病苦、事故、災害、その他の現象から、自らのみ役を、

神の御心に適う霊行を、それぞれの行うべき業を、

人に悟らせんとされておる。それ故、神の御心を知るためには、

その不幸現象から、神のご意図を読み取る努力が必要である。

 

 

 

人が賜りし肉体は、永遠の生は与えられぬ。

しかし、魂は、この世の肉体が滅びても、あの世に帰り、

その活動を続ける。魂と命、それは神の御心を映し、

ご意志、ご意図を実現させるために、肉体が与えられる。

しかし、ひとたび肉体を手に入れし魂は、我を持ち始め、

欲望、執着を持ち始めて、神の御心を映さぬものとなる。

なれば、魂の曇りを消し、魂が、再び神の御心を映せるまでに、

魂を浄め、高めねばならぬ。

さなくば、この世は、人の欲望のみが渦巻く地獄ともなるらん。

 

 

 

神は、この世の立替え、建て直しの期限を近き明日に定められし。

そのときまでの短き間に、一人でも多くの魂、生命、肉体が、

この世にいる間に、果たせねばならぬみ役を、十分に果たさねば

ならず、それは、選ばれし幾人かの人が行うのではなく、

人々が集まり、神の手足となりて、互いを助け合って、行わねば

出来ぬことなり。

出会いし者は、早急に神のご意志、ご意図を確認し、己のみ役を

確認し直し、自らの役目を果たしていかねば、間に合わぬ。

止まり、滅びるか、気づきて動くか。それは各々の決めることなり。

或いは、各々が、振り返り、顧みて、いかなる悟りを得るかに

かかろう。それは各々の生き方、この世での行の積み方により、

変わってこよう。

良き生き方、行の積み方をされし者は、悟りも早かろう。

しかし、神の御心に適わぬ行ない多き者、曇り汚れの激しき者は、

いかなるお仕組みにも悟りを得ず、曇りをさらに深め行こう。

 

 

 

最期の時に、人は、最期の悟りを与えられる。しかし、

最期の時では既に遅し。悟りを得ても、肉体は既になく、

魂の消滅と共に、永遠の時の中から消え行くなり。

時は短し。与えられし時は短し。 いかなる努力も、

神の御心に適わぬ努力、自らのみ役を担わぬ努力は、

ただ我欲からなされる行いにて、神は見捨てられよう。

そして、魂を消滅させられよう。

 

 

 

神は気付きし魂のみを残し、集め、新たにそれぞれのみ役を

与えられる。そのとき、残りし魂は、神の御心を素直に映す魂なり。

神のご意志、ご意図に通じる心を備わせられし魂なり。

 一人一人が集まり集いて、神の御心に調和し、一つの生命体の

ように全体を作り、この世を動かして行く時、我は消え、欲もなく、

争いもなくなろう。人が人と比べあい、違いを見つけ、他を憎み、

そねみ、うらやむ。それは我にて、神の御心に遠きものなり。

神の御心に、人の心が通じゆき、一つに和する時、

人は、我なく、欲なく己なく、人との違いも み役の違い、

課せられし行の違いに過ぎぬことを知り、ゆえに争うことなく、

妬み、そねむこともなし。

人が己をなくし、神と心を調和させ、神のご意志がすなわち

自らの意思となる時、それは、この世に神の国を実現させえた

ときなり。その時、人は、神に近く、神の御心に適い、

神の御心を映したこの世を作りえよう。

 

 

 

神はただ、人に幸せ与え、人を平和に暮らさせんために、

今日までの長い歴史、時の流れを費やされた。

歴史、時の流れ、人の営み、万物の盛衰、生命の興亡、

何一つ意味無きものはない。

来たるべき日、神の国がこの世に生まれしとき、人は再び、

その意味を知ろう。そして、そのときこそ、人は人として、

神の子として、神の映された心を持ち、神の御心を見、思い、

悟ることとなろう。 それまでは、人は人としてのみ、

この世を、この世での現象を、見聞き感じることしかできぬ。

しかし、間もなくの日、来たるべき時の訪れる日、

人は己の役割と、神の御心と、他の生命、全ての生命、自然、

物質、地球、それら全てと和する魂を与えられる。

今すぐ神の御心に立ち返り、清い魂を取り戻さねばならぬ。

そして霊行を求め、霊行を積まねばならぬ。霊行を通じてのみ

神の御心を知ることが出来る。

それは、我のない、欲のない、汚れ、曇りとは最も遠き行であり、

神の御心に最も近き行いなればなり。

神は人類救済のため、人類全てを生まれ変わらせるために、

仕組みをもって示されてきた。その仕組みを学び、悟れよ。

 

  

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこ 著書 「神から人へ(下)」より抜粋 
ひふみともこさんHP

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