「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎一人一人に修行とお役目あり◎

 

 


神は人と人との間に、何ら優越、差別を置かなかりし。

その昔、人は皆、同じ能力、知恵、体力、知力、

性質、欲望、その他を与えられし。

なれど、一人一人のみ役を、それぞれに与えられし。

そして、そのみ役に沿いて、一人一人の能力を変えられ、

差を設けられし。それゆえ人の目からは、一見優劣、差別、

違いと見えようが、それは誤りなり。

神は、それぞれの能力に差をつけられたのではなく、

み役に違いを持たせられ、それに応じ、それに見合う

能力の 差を多少お付けになられたに過ぎぬ。

なれば、一人一人、行うべき行は違おうが、

それを行うに 当たりては、充分に、そのみ役を果たすに

必要かつ充分なだけの、能力を与えられし。

 

 

今日に至るまでの間に、人は、己のみ役を見失う者、多かり。

己のみ役を忘れ果て、己の利益、己の欲望のためにのみ、

神から与えられし能力、体力、知力、その他の才能、

特質を用い始め、己の満足、空しき栄誉、くだらぬ利益、

はかなき名声ばかりを追求し、それに明け暮れている。

神から与えられし能力、知力、体力、特質、才能、

諸々の個性は、それゆえ、神の御心に適わぬ(かなわぬ)ことに

利用され始め、人はますます、己のみ役を見失い、

目の前の利益にあくせくし、周りの目にばかり振り回され、

人の噂に踊らされ、使われ、自らを失い、

ついには、よからぬ霊、悪神の手先と落ちし者も多し。

はそうした事態を憂い、かつ、嘆きもされし。

なれど、そも神の初めからのご計画に含まれしことなり。

なぜなら神は、人の乱れ、世の乱れ、地球の乱れ、

この世の汚れ、 そうしたことの全てが、

神のご計画にある経綸の一部なれば、神はそれをよしとされし。

 

 

人には様々な み役あり。悪は悪なれど、必要悪なり。

善は善といえども、必要にして行われるものなりて、

その行いし者の、自らの意志からなされること、少なし。

善といえども、その魂をめぐる、数々のお仕組みによりて、

実現され、現象化されることなり。なれど、そも、

その魂の努力足りなくば、起こるべきことも起こし得ず、

なさるるべきことも、なされぬままに朽ち果つるのみ。

 

 

神経綸、ご神策、神の道、神の意志、それら絶対なり。

人の努力、能力、全て小さく、もろく、はかなきもの。

神のみ力を得し時、能力、努力を越えしこと起こるなり。

神が人に望まれし、この世での行を、一つ一つ積み行かば、

神のご経綸は、少し進まる。神の御心に適いし行を、

この世で充分に果たされれば、あの世での行は、軽くもならん。

なれど、神の御心に適わぬ行い、振る舞い、行動多からば、

神は現象もって、そを改め、反省するの機会を与う。

謙虚に素直に、神のお役に立つ事を望み、日々、行を積むこと、

それが第一なり。神に望まれ、神に求められる魂になられよ。

神の御心に適う、 神の御心に添う行いを行われよ。

神は何もなさらず、お考えにならぬのではなく、全てを

人に任せておられる。

全てが必然として、もの、ことの成り行きを見ておられる。

なれば人は努力して、その成り行きのなるがままに

するの ではなく、神の御心に適うことを行なうよう

心強くし、 神と共にあるの、意識を高められよ。





神の声を伝える人
ひふみともこさん著書「神 から人へ(上)」より抜粋
ひふみともこさんHP 
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の御霊」  
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