「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎歩行困難の意味・魂の器について◎

 

神から人へ、人から神へ。人の人生、一生は、短く早く過ぎるもの。

なれば人は一日を、心をこめて、思いを高め、一時(ひととき)の間をも

逃さずに、己の持てる全てをかける、さなる思いで生きるべし。さにて

本日、何を問うや。

 

 

(ある方が、最近、著しく歩行困難になられました。その方にはまだまだ

ご使命がおありかと存じます。歩行困難になられた原因と、どうすれば

歩行の力が回復するかをお教えください)

さても、この世に生まれし者には、必ず老いあり、病あり。この世における

役目を終わらば、やがてはあの世に戻り来て、生ける間の清算と、御魂に

残せる穢(けが)れを祓(はら)い、犯せし罪や、あやまちを、神の前にて

詫びねばならぬ。足には足の役割あり。人の体を支えつつ、体を動かし

移動して、心と体の動きを促(うなが)す。心の循環、気の循環、体の細胞

一つ一つが、滞(とどこお)ることなく、穢れを流し、常に清らに保てるよう

に、人は足をば使うべし。歩くことには意味のあり。体の健康、それのみ

ならず。体を動かす基本にて、心も共に動くもの。心は体の動きと共に、

囚(とら)われ、拘(こだわ)り、執着離れ、自由の境地に解き放たれむ。

歩くことの困難は、心の奥の惑いの表われ。心の束縛、蹂躙(じゅうりん)が、

足に表われ、歩行を妨(さまた)ぐ。迷いや悩み、心の疲れは、足の萎(な)え

へと表われむ。悲しみ、怒り、恐れ、焦(あせ)りは、心垢(しんく)となりて、

淀みとならむ。心の健康、充実は、心を動かし、気を遣うこと。感謝と謙虚と

希望と忍耐。そを手に入れるが、生の意味。

 

 

歩けぬときにも、心を動かし、心の自由を手に入れよ。心をいかに動かすか。

そこそは人の自由ならむ。心の自由を使いこなさば、人には悩みも惑いもなし。

体は心と共にあり。心が老いて病むときに、体の老いも始まらむ。喜びに満ち、

笑いを絶やさず、明るき未来を描ける者は、体も軽く、伸びやかなり。

体の老いは避けられぬもの。なれど心の持ち方一つで、体は心に従い、動かむ。

体の老いは緩(ゆる)やかなれど、心の老いは突然なり。体の老いには敏(さと)

けれど、心の老いには疎(うと)かるもの。先ずは己の心の奥に、神の光を

取り入れるべし。心に感謝の念あらば、神の光は、まばゆく照らさむ。

体の老いへの囚われは、心の自由を奪うもの。

体は借り物、仮のもの。神から現世の生のため、現世の修行に励むため、

片時貸されし器なり。生あるうちは大切に、使える間は充分使えよ。

働き、動かし、役立ててこそ、天意に応える生ならむ。人の体も宇宙の

一部。天の動きに背かずに、地球と一つの命と悟らば、体は天に動かされむ。

人の心は自由なれども、真の自由は、天意に沿いて、神の心と一体なる時。

さにて本日、歩行困難なることの意味を、神の視点より、説き示したり。

人知には不幸なることも、神の目からは不幸にあらず。そをば心に留めて

置かれよ。さにて。

 

 

 

平成21年(2009年)4月10日のお伝え 

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